2008年06月30日

人生回顧録・補足

人生回顧録の中で、starbellが父に期待していない理由は前世にあるのではないかと書きました。今日はその話を書きたいと思います。

まず、前世を思い出したわけではないことを最初にお断りしておきます。

starbellは赤ちゃんの時から記憶が断片的にあるのですが、まだ伝い歩きをしていた頃だと思います。
父の胡坐をかいた足の上にちょこんと抱っこされました。そのようなことはそれまでにも数え切れないくらいあっただろうと思います。
でも、そのときは何故かゾーっとしたのです。理由は無いのですが、(この人に抱っこされている自分がおぞましい)という感覚を抱き、すぐさま立ち上がって離れたかったのですが、身体がまだそこまで発達していなかったため、そのまま抱っこされていました。

その記憶は大人になるまで忘れていましたが、それがあったから親としての愛情を注いでもらうことを期待していなかったように思います。
「私の骸を見て笑っていた人」という感覚がするのです。
「骸(むくろ)」という言葉が浮かぶのです。

死後の世界でマイナスの感情は浄化され、その証に親子として今生に生まれてきたような気もします。

傷つくのは期待をするからだと思います。
starbellは、母には期待をしていました。故に傷ついた。
父には期待をしていなかったから、傷つかなかった。
でも父にも愛情は持っています。人間としての関係は経ってしまったけれど、死後の世界では再会してその後のことを聞きたいと思います。




父は、小学校2年生のときに母親を病気で亡くし、少年時代は戦争で常に死の恐怖と戦っていました。東京に住んでいたので、集団疎開もしています。父の父(祖父)は、あまり子煩悩な人ではなかったらしく、少年だった父は誰かに守られているという安心感は持てずに育ったようです。
(自分の身は自分で守らないと誰も守ってくれない)という経験をたくさんしてしまったのでしょう。

父は頭も良く、字も絵も上手く、身体もその当時の男性としては大きい方で、才能には恵まれていたと思います。
そしてリーダーシップもあるのですが、強引で自分勝手でもありました。人の気持ちがよくわからないのかもしれません。


今生に生まれてくる前にお互いに何か役割的な約束をしていたと思うので、魂の再会をした時にどんなことを話すのか楽しみです。
posted by starbell at 09:34| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月22日

人生回顧録その11

母は病気の後遺症でまだ身体が万全ではなかったのですが、孫の面倒をみるのがリハビリになったのと赤ちゃん大好きな人なのでそれも癒しになったのか、とても楽しんで生活をしてくれていました。でも2軒のアパートの家賃を払っていくのは大変です。夫は公営住宅に申し込んで同居することを提案してくれ、当選したので3LDKのマンションに移り住みました。夫の通勤は大変になりましたが、郊外の暮らしも自然が多くて子どもにも良い所でした。(starbellは通勤が大変なので仕事を辞めました。)

ただそこに転居した頃から、母の様子がおかしくなりました。
starbellを疑い始めたのです。妹とstarbellを重ねて見ていたのかもしれません。
何の他意もない言葉に苛立ち、感情をぶつけてきました。(こんな人だったの?)と驚きました。
ある日、あまりにも酷い侮辱的な言葉をぶつけられ、自分も怒りをぶつけそうになりました。それまでも我慢していたのですが、あんまりだと思う言葉でした。一番頭に来た原因は、starbellを疑っていることです。starbellが母を利用するために引き取ったと言われたからです。お金はあげたけど貰っていないし、家事もstarbellが主にやっているし(どこが?!)と思いました。

ただ、立場的にstarbellの方が強く、母の方が弱いので怒りをぶつけようかどうするか迷いました。でもかなり悔しかったので怒りをぶつけようかと思ったとき、声がしました。

「今、starbellが怒ったら、お母さんが可哀想だよ。」

その声で自分の怒りをぶつけるのはやめました。
母は自室に篭って出てきませんでした。
夕食の時間になったので、普段通りに優しく呼びに行ったのですが、母は「うん。」と答えてしょんぼりしていました。

声の主はきっとハイヤーセルフだったと思います。そのときはそんな知識はありませんでしたが、自然に受け止めていました。感情的になって自分の怒りをぶつけず正解でした。

もしかしたら、母はそのとき霊に憑依されていたかもしれないと思っています。母の不安が霊と同調し憑依され、性格の変化が起きたのかもしれません。
数年後、その時のことを母に聞いたのですが、全く記憶にないと言っていました。そんな風に思ったことすらないとも。嘘をついている様子はなかったので、怖いなぁと思いました。

今は夫の地元に家を新築し、母も同居させてもらい、平和に暮らしています。

両親からたくさんのことを学びました。苦労したと言えば苦労したけど、自分の人生ではなく親の人生を眺めて学べたのだから、やっぱりラッキーかなと思います。
ただ、心が傷ついた出来事も多かったので、それについては癒して解放する作業を自分でしていくつもりです。もう大分解放できてきたと思いますが、全部解放できたらもっと強くなれると思います。目標は「暖かいおひさまみたいな人になること」です。

starbellは、人を傷つけたり、受け入れられなくて拒絶したり、無視したり、わがままだったり、言葉が足りなかったり、ずるかったり、恥ずかしいところもたくさんありますが、頑張って生きてきたことにだけは誇りを持っています。

欠点はたくさんあるけど、ハイヤーセルフはstarbellを愛し続けてくれています。
欠点を含めて全て愛しいと思ってくれているのを感じたことがあります。
今まで自分を見失わずに生きてこられたのは、ハイヤーセルフが要所要所で良いアドバイスをくれていたからです。それをキャッチしやすい体質の人と、キャッチしにくい体質の人がいるんだろうなと思います。まだ勉強を始めたばかりですし、これから先どうなっていくかわかりませんが、多くの人がハイヤーセルフとの繋がりを実感できる世界になればいいなと思います。

長い長い人生回顧録にお付き合いいただき、ありがとうございました。
posted by starbell at 10:28| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 人生回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月21日

人生回顧録その10

starbellも恋愛しました。(数少ないですが・・・笑)
starbellは幼少の頃、母に拒絶されたと思った体験から、人を信じきることに恐れを持っていました。恋愛しているのに距離があるので、上手くいかないのです。自分でもわかっているのですが、どうすることも出来ませんでした。

でも25歳の終り頃、付き合い始めた彼(夫)はそんなstarbellに「あなたはおかしい。」と正面からズバッと切り込んできました。真正面から言われたのでstarbellも自分の恐れについて話すことが出来ました。彼(夫)は、「俺は大丈夫だ。」と言ってくれました。それが信用できると思えたので、現在の私たちがあります。夫のおかげでブロックを外すことができました。感謝しています。

そして、27歳で結婚したのですが、母もその頃またBさんに連絡し、寄りを戻していました。
starbellは今度こそ母も再婚し、幸せになって欲しいと思っていました。
だけど結局、母が何かと理由を付けて再婚から逃げました。自分から連絡をとっておいて、本気じゃないなんて、Bさんに対して申し訳ないと思いました。

Bさんと別れた母は、starbellと夫が暮らすアパートの近くに転居してきました。その後、病気をしてしまい、働けなくなってしまったのですが、starbellも妊娠をしてつわりが重く働けなくなったので、母は頼る人がいなくて困っていました。
そんな時、母の妹が母を引き取って一緒に居酒屋をやりたいと言ってきました。starbellは、叔母に裏があると直感したのですが、母がその申し出に乗っていたし、自分が何もしてあげられない状態だったので強くは反対できませんでした。

母は妹と一緒に居酒屋を開店したのですが、妹が経営者で母はお手伝いという状況になり、お金も絡んでいろいろ揉めたらしいです。そんなとき、母がまた病気になり倒れてしまいました。starbellは出産直後で、他県にいる母の看病はできないので、妹である叔母が面倒をみてくれたのですが、いろいろあった後なので母は大変だったと思います。
そんな状況で母はCさんに連絡を取りました。Cさんは体力を回復するために一緒に散歩をしてくれたりしたそうですが、母はお金が欲しかったようです。Cさんはそういう関係は嫌だとの気持ちからリハビリに協力してくれたのですが、母は不満を持っていました。それでも付かず離れず関係は続けいていました。

結局、居酒屋は閉めることになり叔母の所での生活ができなくなったので、starbellが母を引き取ることになりました。アパートには部屋数が足りないので、近くにまた母用のアパートを借りてそこに住まわせました。starbellは娘を母に預けて働きました。

(つづく)
posted by starbell at 13:30| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月20日

人生回顧録その9

starbellが中3になる時に両親が2度目の離婚をしましたが、その年に母に彼氏が出来ました。職場で知り合ったようです。ある日、その男性の存在を知らされ、会って欲しいと言われました。その男性(以下、Aさん)が家に来て、母と3人でトランプをしたりして過ごしました。starbellは、Aさんとstarbellが仲良くなることを母が望んでいるのがわかったので、仲良くしましたが、気持ち的にはただそれだけでした。
母は少女のような恋愛をしているように見えました。地に足が着いていない恋愛。
starbellは、母のためにAさんと仲良くなるように努力しました。
おそらく1年くらいの付き合いだったと思います。

そして、starbellが高校生の頃、Aさんがバイク事故で亡くなったと母から聞きました。でも、それは嘘で逃げられたと母は思っていました。確かめに行ったようですがわからず、母は傷ついていました。そんな母を見てstarbellも傷つきました。

しばらくして、母はBさんと付き合うようになりました。Bさんは、1度目の離婚の時、母に好意を寄せていた男性で、母から連絡を取り、付き合うようになったようです。
starbellは、単なる恋愛に巻き込まれるのは迷惑だったので、結婚の意志が固まってからしか母の付き合っている男性とは会わないと母に宣言しました。

Bさんは真面目で優しい人だったので、金銭的にも母に援助をしてくれいていました。
Bさんには長年別居している奥さんと子どもたちがいましたが、母と結婚する意志を持っていました。starbellが高校を卒業して就職し、初めての冬が来た頃、母から再婚したいと聞かされました。starbellは、再婚には賛成だけど、19歳にもなって一緒に住むのは嫌なので、アパートを借りて別に住みたいと言いました。母はそれは反対しているのと同じだと言ってきました。starbellは学生じゃあるまいし、一緒に住みたくない私の気持ちもわかって欲しいと言いました。そこまで自分を犠牲にするつもりはありませんでした。
Bさんはstarbellが別居することをきっと賛成してくれると思いましたが、母は伝えなかったようです。結局、母は真面目に再婚を考えていませんでした。そして別れてしまったのです。

そしてまたしばらくして(笑)、母はCさんと付き合いだしました。Cさんは家に間違い電話をした人でしたが、声がAさんと似ていたらしく、母が「Aさんでしょ?!」などと様子がおかしい感じがしたので、心配してくれて近くの神社で会ったのが最初だといっていました。
starbellが知らぬ間に母はCさんに家の合鍵を渡していました。留守の時に実際にCさんが家に来ることはありませんでしたが、母を嫌いになりました。笑
母はstarbellも交えて仲良くやりたいという希望を強く持っていて、またCさんとも家で一緒に食事をしたりしなければならなくなりました。奥さんと子どもがいると言っていたのですが、母はstarbellにあれは嘘だからと言っていました。このころは母のことをまだ少し信頼していました。

母は再婚したかったようですが、Cさんには家族がいるので出来ません。
3人で居酒屋で話すことになりました。Cさんは最初から家族がいると話していたこと、母がAさんの差し金でCさんが電話をしてきたと言い張るのだけれど、自分はAさんのことは全く知らないこと、自分の船は大きいので家族の他に母とstarbellを乗せても大丈夫だから付き合ってきたことなどを話しました。starbellはCさんが嘘をついているとは思いませんでした。おかしいのは母だなと思いました。
starbellは、ご家族がいるとハッキリわかったので、今後一切自分はCさんと会うつもりがないこと、家にも来ないでほしいこと、母と外で付き合うのは大人なのだからお互いの責任で自由にして構わないことを伝えました。
母は臍を曲げて、Cさんと別れました。自分の思い込みなのにCさんに騙されたと思っていました。

母にとってAさんの存在はかなり大きいものだったようです。

starbellは、母と暮らすのが嫌になり、一人暮らしをしようと物件を探し始めました。
母はどうしても反対するし、周りの友達は事情を知らないので「お母さんが可哀想だよ。」と反対するし、振り分けの部屋のマンションに一緒に住み、敷金・礼金・家賃はstarbellが払うので「絶対に男連れ込み禁止!」というルールを決めて、渋々母と暮らし続けました。

(つづく)
posted by starbell at 09:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月19日

人生回顧録その8

結局、starbellは学校にかけてきた父からの電話にリアクションは起こしませんでした。
なんとなく罠かも?と思ったのと、卑怯な行為に対して反応を返すほど弱くはないという意思表示でもありました。

今、思い返してみるとその頃に祖父が亡くなったのではないかと推測します。
父の兄弟は、starbellと父が会わなくなっている理由を知りません。
祖父が亡くなったら、通夜・葬式に孫が出るのは当然です。
連絡を取れと言われ、自分から連絡を取れない父は策を練って学校に電話してきたと思うのです。
学校にstarbellを侮辱するような内容の電話をすれば、starbellから怒りの電話がかかってくる。。。そうしたら、用件を言えるだろう。自分から連絡はしないと言うメンツも立つ。



高校を卒業後、母と歩いている時、父の妹(叔母)とばったり会ったことがありますが、母とは和やかに話すのに、starbellとは目すら合わせようとしませんでした。とても可愛がってくれていたのにおかしいなと思いました。



推測ですので真相はわかりませんが、それ以来、父からの連絡は一切ありません。

starbellからも一切連絡はしていません。結婚の時も、子どもが生まれたときも・・・

恨んでいるとか怒っているわけではないのです。
「終わった」という感じが一番しっくりしています。

なぜ恨まないかは、不思議な理由があります。
全く親として期待していなかったのですが、おそらく前世からの関係があると思います。最初から期待していないので、傷つきませんでした。
その理由は、後日、書きたいと思います。


夫や子ども、母を守るためにも父とコンタクトは取れませんし、取るつもりもありません。
真相を知らない人には、冷たいと思われますが、今まで他人に真相を語ったことはありません。
父の悪口になってしまうと困るし、聞いて気持ちの良い話ではないからです。
ただ、夫にだけは話してあります。

今回、ブログに書いたのは、starbellの内側から外に向かって真実を出すことが必要だと感じたからです。それは「自分は誤解されている」という自分自身の癒しなるのではないかと思いました。

そして、このブログを読みにきてくださる方々は、そんなstarbellの気持ちを理解してくれるだろうとも思いました。
長々した話をお読みいただき、ありがとうございます。

父との話は大体こんな感じで終りですが、2度目の離婚後、母の問題点もいくつか見えてきました。今度は母と対峙することになります。

(つづく)
posted by starbell at 09:37| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 人生回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月17日

人生回顧録その7

starbellは高校に入学しました。高校を卒業したら就職するつもりなので、公立の商業科を選択しました。入学にあたり、ブレザーとスカートは買ってもらえましたが、中に着るシャツと冬に着るコートはお金がないので買ってもらえず、中学のものを着て通学しました。校則違反にはあたらなかったので先生から注意はされませんでしたが、そんな生徒は一人もいないので目立ってしまいました。

それでも大多数の同級生は差別することなく、接してくれました。
中には幼いのか意地悪なのか素朴な疑問なのかわかりませんが、
「それ、中学のブラウスだよね?」
「中学のコートだよね?」
と聞いてくる子もいましたが、starbellが
「そうだよ。」
と答えるとそれ以上は何も言われませんでした。

starbellは、(お金が無いのは私の責任ではない。大人になって働くようになって、自分が怠惰だったり、浪費したりしてお金が無かったら自分の恥だけど、今お金が無いのは私の恥ではない。)と思っていました。
そして、母にお金がないのも恥ではありません。「慰謝料も養育費もいらないから離婚して!」と言って離婚した母は、自分の働いたお金だけで生活していたからです。
慰謝料や養育費を貰うと縁が切れないので、受け取りたくないというのがその理由です。




高校生活にも慣れた2年生のとき、1年の時の担任だった男性教師から呼び出されました。
特に心当たりもなかったので、不信に思いながら教員室に行きました。
清掃時間だったため、数人の生徒が掃除をしている中、教員室で教師と向かい合いました。

「お父さんから学校に電話があった。」

「なんて言っていたんですか?」

「いったいどういう別れかたをしたんだ!」

「どうって・・・普通に離婚したんですよ。」
「それでなんて言っていたんですか?」

周りの生徒は掃除をしながら耳をそばだてています。
全くデリカシーのない教師だなと思いました。
そんなstarbellの気持ちと周りの状況に気付いたのか、

「もういい。」

と言って話は終わりました。
結局、父が何を言っていたのかはわからずじまいです。

starbellは、その男性教師と現担任なのに自分で関わって来なかった若い女性教師に対して、反発心を持ちました。父が何を言ってきたのかは知りませんが、それをぶつけるのは生徒ではなく、話を最初にするのは母(保護者)だと思うのです。
帰宅して母に話しましたが、関わりになりたくなかったらしく学校に真相を聞くことはしてくれませんでした。
(誰も真剣に私の事考えてくれない)と思いました。
それならなお一層、starbellは自分のことを真剣に考えなければいけないと思いました。

(つづく)
posted by starbell at 09:41| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月16日

人生回顧録その6

両親が離婚して、starbellは母と6畳一間の風呂なしアパートで暮らしました。
銭湯に通って、最初のうちは洗濯機もなかったので銭湯前のコインランドリーで洗濯しました。
中学3年から生活がガラッと変わりました。
それでも友達たちとの関係が上手くいっていたので、楽しく学校生活をおくることができました。

時々、父の家に顔を出しに行っていました。
父は自分の落ち度は全く省みず、母や母と暮らすことにしたstarbellに対しての不満をstarbellにぶつけました。starbellは、父が前を向けるように話しながら、事実と違うことは違うと訂正していました。父はだんだん現実とは違う、自分にとって都合のよい現実を作り出していました。
父にとって大切なものは、世間体・メンツです。それを壊されてしまったので、受け入れられないのです。父と会うとstarbellは心身共に大変疲れました。自分にはどうしてあげることも出来ないと感じていました。

最後に父と会ったのは、中3の時です。両親が離婚してから1年も経っていない頃です。

その頃、父親が息子をトンカチで殴り殺すという事件がありました。
会いに来たstarbellに父は「その事件を知っているか?」と言いながら、トンカチを振り上げました。顔は気が狂ったような表情を浮かべていました。
starbellは、パフォーマンスだと思いつつ、「なに馬鹿なことやってるの。早くトンカチ置きなよ。」と言いました。
父はトンカチを振り下ろすことはせずに、トンカチを元の場所に置きました。
その日、なぜかトンカチが食器棚の上に置いてあったのです。starbellが来たら、それをやるつもりで置いておいたのでしょう。

そのまま普段どおりに過ごして帰宅しましたが、(怖いな)と思いました。
パフォーマンスとはいえ、そこまでやるのは異常です。
体力的に完全に劣っているstarbellが一人で会いに行くのは危険です。でも一緒に会ってくれる人はいません。悩みましたが、会いに行くことをやめました。そして、電話をすることも何を話してよいのかわからず、やめていました。

父の方からも連絡はなく、高校受験をむかえ、合格発表がありました。
starbellの方から連絡するべきか迷いましたが、親ならば子を心配して連絡が来るはず。連絡がないということは関心もないのだろうと思い、電話はしませんんでした。
そして合格発表から3日後、父から電話がかかってきました。

「おまえ、高校受験はどうなったんだ。」
「合格したよ。」
「なぜ、連絡してこない。」
「・・・」
「近所の人から聞かれて、知らないから答えられなかった。俺は大変恥をかいた。」
「お前から会いに来なければ、親でもなければ子でもない。俺はお母さんが死んだって一切おまえの面倒はみないからな!!」


そして電話は切れました。

心配してかけてきたわけではありませんでした。
starbellは、父には親の心はないのだと確信しました。

ただ、高校の3年間のうちに母が死んだらどうしようと思いました。
高校は卒業したいし、未成年では社会的に何も信用されません。
それは恐怖でした。母に相談しましたが、頭にきたらしく「お母さんは死なないから、もうお父さんと会わなくていい!!」と言われました。それでもしばらく悩みました。
それくらい大きな恐怖だったのです。

そして自問自答しました。

父と会いたいという気持ちはないけれど、保険のため会っておくか。

会いたくもないのに脅されて会いに行くのはイヤだ。支配されたくない。

出した答えは、会いに行かないことでした。
保険のために自分の心に嘘をつくと、自分自身を好きでいられなくなると思いました。
自分を好きでいられなくなることはよそうというのが、最終結論です。
自分の気持ちに正直に純粋でいたかったのです。

(つづく)
posted by starbell at 09:30| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月14日

人生回顧録その5

その日、starbellは友達たちと遊園地で遊んでいました。
楽しくてつい遅くなってしまい、ラーメンでも食べて帰ろうということになりました。
starbellの家は厳しかったので、怒られるのを覚悟で電話したのですが、母が出てあっさり「わかった。」と言われました。口調からも違和感を感じましたが、みんなで楽しく過ごして帰宅しました。

帰宅すると母から「離婚するから!」と告げられました。
夫婦喧嘩の真っ最中で、家の中は不穏なエネルギーでいっぱいでした。
(予定よりかなり早いけど、とうとう来るときが来たか。)
とショックを受けつつも腹を括りました。

母はまず仕事を見つけてきました。
今度は昼間の販売の仕事です。事情を話し、女社長さんが特別に中卒の母を雇ってくれました。
次に母がしたことはアパートを借りることでした。この時の敷金・礼金は父から出させました。
アパートを借りると、母はアパートに移り住み、starbellは週のうち4日は母のアパート、3日は父の家で暮らしました。

そんな生活が3ヶ月ほど続いた頃、starbellは疲れきってしまいました。
父からは毎日愚痴ばかり聞かされ(父は離婚したくなかった)、心も身の置き所も中途半端な環境では、休まりませんでした。
心のエネルギーが途切れてしまったのか、ある夜、母のアパートで「死にたい。」と言ってしまいました。母はそれを聞いて離婚に踏み切る決心をしました。(タイミングを迷っていたらしい。)
翌日、母は父に電話し、「strbellを引き取って離婚する。starbellは私と暮らすと言っている。」と告げました。父は「俺は鬼になってやる!」と逆上しました。
以前から、「あんなアパートの扉なんてすぐに蹴破れる。」などと言っていたので、殺しに来るかと思い、大慌てで親戚の家に逃げました。

(殺されるかもしれない)と実際に思ったことがある人はどれくらいいるでしょうか。
初めて味わった大きな恐怖でした。

ちょうど春休みだったため、しばらく他県の親戚の家にいました。
母は仕事があるので、ビジネスホテルに泊まり、仕事の区切りがつくのを待っていました。
アパートに帰るのは怖くて出来ませんでした。

そして父の姉に間に入ってもらい、離婚が成立しました。
父の姉は「もう別れて上げなさい。」と母の味方をしてくれました。

正直、高校受験を控えている中3に両親が離婚することは「なんで?」という思いもありましたが、母がどれだけ父を嫌いかを感じ、そして父にとってもそんな母といることは幸せなのか?と思いました。starbellは数年したら大人になり、社会に出て自分の人生を歩き始めます。それまでの数年を我慢すればいいだけのこと。両親にとってこの数年という時間は人生をやり直すには貴重な時間だと思いました。自分のわがままで、両親の人生の邪魔をしてはいけないと思いました。

今度の離婚は、starbellも事情がわかる年齢なので覚悟の上です。
それでも傷ついたり苦しんだりしましたが、いつも心に思っていたことがあります。

(どんなことがあっても、私は私を保ってみせる! 自分を大切にする!)

(つづく)
posted by starbell at 10:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月13日

人生回顧録その4

母はその頃、辛さを紛らわすためハメを外した生活をしていたようです。
結婚生活で2度も浮気され、女性としての自分に自信をなくしていましたが、かなりモテたみたいで、だいぶ癒されたみたいです。笑
そんな中、母にも好きな男性が出来ました。相思相愛だったようです。
女性としての幸せを感じることが出来る日々。
そして友達カップルと2組で遊園地に行って、生まれて初めてくらいの楽しい時間を過ごした帰りの車中、助手席に座っていた母は、フロントガラスにstarbellの顔が映ったのを見て、思わず泣いてしまいました。

(こんなに楽しい時に子どもの顔が浮かんでくるなんて、やっぱりダメだ私。)

離れて暮らしてから、何度かstarbellと会う度に、
しっくり来ない娘との関係、
だんだん父色に染まっていく娘・・・
父に娘を任せておけない。
女性としてより母としての自分が勝ってしまう。
女性としての自分を犠牲にしても、子どものために生きよう。



母は男性と別れ、父と復縁し、家に戻ることを決意していました。

母の恋人の男性には家庭があり、男性は離婚をして自分の子どもと母とstarbellで新しい家庭を作ろうと言ったそうですが、母はそんな気になれず、二人は別れました。

大人同士の話し合いについてはstarbellはわかりませんが、starbellの小学校入学に間に合わせる形で、元の親子3人の生活に戻りました。
ここから母にとって、我慢我慢の日々が始まります。
父にとっても復縁は嬉しいことですが、反省する人ではないので、母が身勝手なことをしたというスタンスを世間にとっていました。
娘との絆を修復するために、女性として人間としての悔しさに耐えた母でした。

starbellはなかなか母に寄り付けませんでしたが、母の努力の甲斐があって数年後には元の親子関係に戻りました。
第一の目的を果たした母は、やはり相変らずの父に対する不満に目を向けるようになりました。
父の留守中に(母の)妹に電話をし、愚痴をひとしきりこぼします。それを全部starbellは聞いていました。母が電話を切ると、starbellは自分が思ったこと、感じたことを母に伝えました。

すると時々、母はハッとするのです。
そして、「starbellは神様の子だ。何気なく言っていることだろうけど、お母さんにとてもよいアドバイスになってる。とても良いことを言ってくれている。」と言うことがありました。

starbellは自分で考えて言っていると思っていましたが、今にして思えば、母のハイヤーセルフがstarbellの口を使って母にメッセージを伝えていたのだと思います。

starbellの経験では、ハイヤーセルフからのアドバイスやメッセージを聞くと、ハートがハッとします。この「ハッ」とする感覚があればそれは瞑想をしていなくてもハイヤーセルフが人間に送ったメッセージなのです。

ただ、人間としてのstarbellは「また離婚するのでは?」と不安になり、小学生の時に2度ほどチックになりました。深夜からの夫婦喧嘩の仲裁で、ほとんど睡眠をとらずに学校に行ったこともありました。でも母はstarbellが高校を卒業するまで離婚はしないと言っていました。

ところが、starbellが中学2年生の秋、母の火山が大爆発してしまうのでした。

(つづく)
posted by starbell at 08:21| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月12日

人生回顧録その3

母は痒い所に手が届くタイプの人で、過保護になってしまいがちでした。
母と離れて暮らし、starbellにとっていろいろと戸惑うことが多いことに気が付きました。
それでもstarbellは「楽しく生活している」ように振舞っていました。
父もそれが本心ではないことを気付いていたと思います。お互いに気を遣いあっての生活。

自営業のため父も一日家にいるので、近所の人との付き合いがあります。
世間から「幼い娘と懸命に生きる父親」というレッテルが彼には必要でした。
「妻と子どもに逃げられた惨めな夫」では、困るわけです。
父にとってstarbellは、世間体を守るためにも必要だったのです。
(子どもとしてもだと思いますが。)

starbellは父と仲良くやっていくため、自分の感情にフタをしていましたが、その内、自分自身のためにフタをしなくてはならなくなりました。
抑圧した感情が増大し、それが噴出した時、正気でいられなくなる恐怖を感じ始めたからです。
周りの大人から同情的な言葉を掛けられたり、悲しい物語に触れたりすることは、スイッチがはいってしまう恐ろしいことです。防御する手立ては一つ「感情を麻痺させる」ことでした。
悲しい、寂しいなどの感情を麻痺させると、嬉しい、楽しい感情も本物ではなくなります。
本当の自分は硬い堅い殻の中に閉じ込めていました。

母とは時々、父と3人で外で会ったりしていましたが、父親から言葉でコントロールされていたらしく、starbellに対して距離をとっているような接し方になっていました。
starbellは、「拒絶されている」ように感じて母とどう接していいのかわからなくなり、深く傷つきました。

誰にも本心を見せられない孤独。自分で現実を変えられない閉塞感。
6歳のstarbellにとって、重く苦しい日々が続きました。
そんなある日、とうとうこんな風に思ってしまいました。

どうしてAちゃんやBちゃん(近所の幼なじみ)はみんな苦しい思いをしないのに、
どうして私だけこんなに辛いの?! どうして私だけこんな思いをしなくちゃいけないの?!

その時、心の中で声がしました。

本当にAちゃんやBちゃんになりたいの?


starbellは、ハッとし、

AちゃんやBちゃんになりたくない。
辛くてもこんな気持ちを知っている自分の方がいい。
他の人にはなりたくない。

と答えていました。

今にして思えば、ハイヤーセルフからの質問だったと思います。
そして、答えたのは人間としてのstarbellというより魂のstarbellです。
人間としては辛い経験でも、魂はそういう経験を望んでいるのです。
純粋な年齢だったから、魂の答えがすぐに出てきたのでしょう。
starbellはこの時の経験から、他人を妬むことはなくなりました。
だってどんな私でも、私の担当は私だから。
人間は一人一人違うのです。自分は自分の人生を生きるために生まれてきたのです。
そのことを人生の早い時期に気付けたことは、本当にラッキーなことです。


父との生活の中で、父の浮気相手が夫と小学生の娘二人を捨てて、我家に家出をしてくるということがありました。ただ、その道中、自転車に荷物を載せて家に向かっていたその女性は、トラックに撥ねられるという交通事故に遭ってしまいました。
その事故が元で浮気が発覚し、いろいろありましたが元の鞘に収まることになりました。
父はその女性と再婚し、3人で暮らそうと思っていたようですが叶わぬことになりました。
その後、結婚相談所に足を運びましたが、結局、お見合い成立にはどれも至りませんでした。

父は寂しがり屋なので、母と離婚し、浮気相手とも別れ、お見合いも不成立という状況に落ち込み始めました。
お風呂に入っている時、父から「一緒に死のう。」と言われました。
starbellは死ぬのが怖かったので、「死にたくない。ヤダ。」と返事しました。
父は本気ではなかったからか、断られたからか心中を実行に移すことはありませんでした。

おそらくこの頃、父、母、starbellのハイヤーセルフやガイドたちは連日会議をしていたと思われます。笑

母はある決意をしていました。

(つづく)
posted by starbell at 09:48| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月11日

人生回顧録その2

託児所に預けられない日もありました。母の姉の家に数日預けられたことがあります。
5歳年上の従姉妹は、starbellと全く接触してくれませんでしたが、伯母は優しかったので託児所の生活よりもリラックスできました。
母はその時、父と離婚についての話し合いをしていたそうです。
そして、父がstarbellと会いたいというので、どこかの駅で待ち合わせをして父と母とstarbellは3人で会いました。久しぶりの父との再会。



実は母と家を出る前、母が私に聞いてきたことがあります。

「もうパパと会えなくなっちゃうけどいい?」
「もう幼稚園に行けなくなっちゃうけどいい?」
「ママ、働くけどいい?」

どれもstarbellにとっては構わないことでした。

父とは一緒に暮らしていても心の交流がなかったため、母がいればいいと思っていました。
幼稚園はあまり好きではなかったので、全然OK!笑
「ママ、働くけどいい?」については、家は自営業で店をやっていたので、外で働くということが理解できていなかったため、「うん。」と答えていました。



どこかの駅の近くで父と再会。父は電車で来たと言っていました。
そして、どこかへ移動しようということになり、タクシー乗り場の列に並びました。
なぜか長蛇の列。父は母に「starbellが退屈だろうから、あそこで遊ばせてくる。」と言い、starbellの手を引いて少し離れた所へ移動しました。母は一人で列に並んでいます。
父は少しずつ母との距離を広げていきました。さすがに歩道橋の上に来た時はおかしいと思い、「ママは?」と訊ねました。「後から来るよ。」と言われましたが、父が手を引いて走り出したので、「ママ〜ママ〜」と大声で後ろを振り向きながら呼びました。
中年の男性が小さな女の子の手をグイグイ引っ張りながら走っていて、女の子はママを呼んでる。。。周りにいた人が誘拐か?という目で見てきました。父は仕方なく立ち止まり、慌てて「ママ知ってるから後から来るよ。あのデパートにMちゃんが待ってるんだよ。先にパパと行こうよ。」と言って自分が父親だと周りにアピールしていました。笑
Mちゃんとは、starbellの成人していた従兄弟で大好きなお兄ちゃんでした。
Mちゃんに釣られて、父と走りに走ってデパートに行きました。結局、Mちゃんはいなくて(笑)、たくさんおもちゃを買ってもらって車で帰りました。(電車で来たというのは嘘。)

母も私たちの姿が見えなくなったことに気づき、走りに走って探したようですが、見つけられず、結局、夫に娘を連れ去られてしまったのでした。
しばらく娘を取り戻すことで頭がいっぱいだった母ですが、starbellが新しい生活に全く馴染めず苦しんでいる姿を思い出し、連れ戻すことが良いのかどうか自信がなくなってしまったそうです。

starbellは、自分の家で自分のおもちゃと久しぶりに再会し、新しいおもちゃもたくさんあったので、しばらくは夢中で遊びました。近所には同い年の幼なじみもたくさんいて遊ぶには困らない環境でした。テレビでマンガも見られるし♪
きっと母は電話で父からstarbellの様子を聞いて、連れ戻すことを諦めたんだと思います。

でもstarbellは、母がいない環境で父と生活しなければなりません。
父はずっと優しく接してくれていましたが、それはstarbellに泣かれたくないから。
starbellに泣かれることが父の恐れなら、その恐れが現実になった時、どんな風に豹変するか?
本能的にstarbellは警戒しました。母を恋しがることは自分の身に危険が迫ることでもあると感じていました。それから、starbellの本当の試練が始まります。

(つづく)

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2008年06月10日

人生回顧録その1

これからしばらく、今までにstarbellの人生で体験したことを書きたいと思います。
それはstarbell自身の癒しにもなりますし、自分以外の人の人生に触れることは、読んでくださる方にとっても有益だと思うからです。自分で体験していない人生を知ることは、転生1回分お得だと思いませんか?笑

スピリチュアルとは少し離れるかもしれませんが、人生経験こそ魂の望むことですからね。
(やっぱりスピリチュアル?)




私は両親の元に生まれてきた一人目の子どもになります。
私の前に9ヶ月まで母のお腹にいた兄がいますが、突然へその緒が首に絡まり、死産になってしまいました。母はそのことを今でも心の傷として背負っています。
実は、母が妊娠中、父が近所の主婦と浮気をしていまして、そのことで苦しんでいた母は夢で父の首を絞めたのです。その時にお腹の中で兄がくるんっと大きく動き、それから全く動かなくなってしまったそうです。母は罪の意識を感じていますが、重すぎて意識の下に押し込めているようです。

離婚に至らなかったのは、母が「離婚してはいけない。」と祖母から教えられていたから。
その当時祖母は他界していましたが、親から受け継いだ呪縛?が強く効いていたみたいです。

母が私を妊娠した時に、父も心を入れ替え、しばらくは幸せな日々が続いたそうです。
待望の赤ちゃんが生まれたという事で、私は大切に育てられました。
母は自分がもう子どもを産まないであろうと直感していたようで、それはそれは全身全霊をかけて育児していました。

でも、父がまた別の女性と浮気をしたことで、その幸せな時間も長くは続きませんでした。

私が幼稚園年長の6月、母は私を連れて家を出ました。
母の両親は他界しており、学歴も中卒の母は、行く宛てがないので、夜の仕事を選びました。
母子寮という2DKのマンションに数組の親子+単身の女性が暮らすところへ入りました。
1室に2段ベッドが数台置かれ、そこで赤の他人同士が生活します。訳ありの女性ばかり。
収入が安定すると皆、寮を出ます。そしてまた新しい人が入ってくるところです。

母が仕事をしている間は、託児所に預けられます。
赤ちゃんから幼稚園年長までの子どもが、数十人広い畳敷きの部屋で数時間過ごします。
幼稚園くらいの子どもはごく少数で、ほとんどが2〜3歳の幼児です。
ケンカの種になるからか、おもちゃや遊具はなく、思い思いに遊びます。
幼稚園しか知らないstarbellには、どう過ごしていいかわからない場所でした。
楽しかったのは、みんなでロンドン橋をやったことくらいです。

夜になると、一人一人に保母さんが「今日寝る?」と聞いてきます。
寝ると答えれば、布団を敷いてもらえますが、starbellは普段から眠れないタイプの子どもだったので、ほとんど毎日起きていました。
薄暗い部屋の片隅で、数人の寝ない子どもと一緒に座って親が迎えに来るのを待ちます。
なんの会話もない時間。
ある夜、一人の2〜3歳の男の子が窓の方を見ながら「ママ〜ママ〜」と大声で泣きました。寝ている子どもたちは不思議と起きないんですよね。笑
starbellは、少し大きかったので心の中で「窓の外にお母さんなんかいないよ!」と思っていました。気持ちは怒っていました。その男の子に自分の気持ちを投影していたんでしょうね。

新しい生活では、母はいつも必死で余裕がなく、二人きりになれる時間も場所もないのでスキンシップもなく、寮の新入りはキッチンを使いづらいため、食事も外食ばかり。おもちゃもなく、いつも見知らぬ他人が側にいる。。。そんな生活にstarbellは疲れていました。
そんな気持ちが、その男の子の泣き声で一気に噴出しました。

迎えに来た母に、starbellは一言も話さず、ずっとだんまりをしていました。
おそらくハートが閉じてしまっていたのでしょう。言葉で自分の気持ちを伝えるのは、難しい心情でした。母は帰りのバスの中でも必死に話しかけてきました。バスを降りた所に、夜遅くまで開いているお店(今のコンビニみたいな)があり、母は「アイスを買ってあげる。」と必死にご機嫌をとろうとしていました。starbellはアイスが食べたくなかったのと、(私がしてほしいのはそんなことじゃない!)という気持ちから、アイスを選びませんでした。

すると赤ちゃんを抱っこした若い女性がstarbellに声を掛けました。
「お母さん困ってるよ。もう許してあげな。」
その言葉でハッとし、アイスを選びました。
母が困っているとは、気が付いていなかったのです。

その女性は20代前半くらいの若い母親でしたが、彼女もいろいろと苦労を重ねた人なんでしょう。starbellの気持ちにどんな言葉が響くかわかっていたのでしょうね。

でも母はその時、この生活を娘にさせることに無理を感じ、自信を失くしていました。

(つづく)
posted by starbell at 10:07| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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